今年はガンガンにいきますよ~。
今年が皆様にとって良いお年でありますように。
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今年はガンガンにいきますよ~。
今年が皆様にとって良いお年でありますように。
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もう、あきれるしかない。
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厚生労働省は26日、病院に比べ高く設定されている診療所(開業医)の再診料について、2010年度の診療報酬改定で引き下げる方針を固めた。現在710円の診療所を引き下げる一方、600円の病院を引き上げて650円前後で一本化する考え。年明けに厚労相の諮問機関、中央社会保険医療協議会(中医協)に提案する。
診療所の再診料引き下げは、行政刷新会議の事業仕分けで強く要望する意見が挙がっていた。厚労省は、10年度改定の報酬増額が想定よりも小幅に決まったことから、疲弊が著しい救急医療などに重点配分するための財源として、診療所の再診料を圧縮する。
厚労省によると、診療所の再診料10円は、医療費ベースで約100億円、病院では同10円が約50億円に相当。診療所を下げる形で一本化すれば、かなりの財源を工面することができるという。
中医協は既に、診療所と病院の再診料を一本化することで合意。医師ら「診療側委員」は診療所は引き下げず病院を引き上げることを条件としたのに対し、健康保険組合など「支払い側委員」は診療所の引き下げを求めている。
診療所の再診料引き下げをめぐっては、前回の08年改定で焦点になったが、開業医の意向が反映しやすい日本医師会(日医)の幹部も務める中医協委員の反対で見送られた。今回も開業医を中心に猛反発が予想されるが、政権交代後に日医幹部は委員から外されている。
▽再診料
診療所(ベッド数0~19床)や200床未満の中小病院で病気やけがの治療を受けた時に、2回目以降にかかる基本料。診療所は710円、中小病院は600円。診療所は外来を、病院は入院を重視するとの国の政策で診療所を高く設定している。200床以上の大規模病院では、2回目以降の受診には別の外来診療料(700円)が適用される。初診料はいずれも2700円。
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あの~、地域医療を担っている町医者くたばれ。で、皆、大病院という認識でよろしいのですね?
でもって、ますます疲弊する勤務医。
そして減っていく医師数。
まじで、地方の町医者つぶれるぞ、、、、、、
実質、町医者ってのは、経営者でもあり、経費、人件費と楽な世界ではない。
ましてや、私の様な、町医者の勤務医なぞ、、、、、
医療崩壊は今に始まったことではないが、改悪されるとは思わなかった。
これ、実現したら、極端な話、風邪引きました、かかりつけの、、、、
あれ?閉院してる、、、
じゃあ、大きな病院、、、って、待ち時間6時間??(開業医でもこの待ち時間はありうるのに)
しかも、弱毒性インフルというパンデミックを経験して、この有様。
所詮、役人は役人やし、今度の政権もあほばっかりか?
財源の持って行き方ってのがあるやろが?
あぁあ、またしても利権ですか、、、やっぱりね、、、
まぁ、金の事は、「裕福な家庭に育ちましたから、、」
とか、ぼけたことゆうてる奴が頭に立ってるねんから、
ほんでもって、その悪徳な資金繰りを、ほんわかムードで持ち上げているマスコミ、、
なぜ、検察は突っ込まないのか不思議でしょうがない。
愚鈍な現与党。
皆、「改革」を期待していたけど、国は弱体化する一方な気がするが、、、
小泉政権で、格差社会を肯定してしまい、
鳩山政権で、ますます、混沌とし、外交でもわけのわからんことをしているこの世の中。
もしかして、政治家の皆様、いつか、ヒットラーが出現する下地を作られているのでしょうか?
投稿情報: 22:24 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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かなり、ブログ滞っていました。
最近、かなり忙しい日々を送っています。
プライベートでもまたしても、もらい交通事故。
本厄抜けるのもあと数週間。頑張れ、俺。^^;
それにしても、インフル一段落したかな?とか考えていたら、
わが精神科のクリニックにも、マイコプラズマだったり百日咳にかかったりしている方が
結構多い感じです。
普通の感冒の方も多いのですが。
最近、気管支炎っぽい症状がでてきた私。
今年花粉症デビューの私ですが、それ以来、手持ちである愛用(?)の小青竜湯飲み始めました。
PCに向かう時間も減っている私。
さすがにこれだけ多忙だと、ちと、疲れが、、、、
しかーし!
まだまだいけるし、まだまだやれる。
投稿情報: 20:12 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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先日の日記で書いた「目を見て話さない精神科医」について一考察。
時々、他のクリニックから転院してくるクライアントの方がいらっしゃいます。
その中で、時々挙がる理由が
「私が話しをしているのに、先生は目をあわせようともしない。」
というものです。
最近は電子カルテ等の導入だったり、カルテ書きに専念しているという理由もあるのでしょう。
しかし、私はこれは、ある意味、人としての本能なのではないかとも考えます。
「目は口ほどに物を言い、、」
等と言いますが、脳科学では目の動きで、色々な情報が得られることがわかっています。
例えば、何か質問して、一瞬考えるときに、眼球の方向でその人が映像として思い出しているのか、聴覚、言語で思い出しているのか、嘘をつこうとしているのか等は一つの現象です。
眼球運動と海馬等の脳の構造、機能によって起こる現象です。
また、以前、EMDRといい、あえて眼球を動かさせることで、外傷体験の記憶を簡単に言えば小さくしてしまうという治療も行われていました。最近は、そのトラウマも逆にvividに想起させてしまうという事等を理由にあまり、行われていないようです。
これも、眼球運動と脳の密接な関係を利用したアプローチでもありました。
もうひとつ、上げられるのが、「気」を介した関係です。
目というのは、ある意味、相手の脳内に「気」を使って、侵入できる経路でもあります。
簡単に書いているようですが、これは、先天的に得意な方もいらっしゃいますし、
後天的にトレーニングである程度身につけられるとは思っています。
精神医療に限らず、「目を見て離されるのは苦手。」という方も結構いらっしゃいます。
本能的に相手のフィールドに飲み込まれるのを防御しているのではないでしょうか?
もう、おわかりですね。
目を合わせれば、逆に相手の「気」に飲み込まれるリスクを背負うわけです。
こちらの「気」が勝っていれば、相手に飲み込まれませんし、負けていれば飲み込まれます。
って、別に勝負の世界ってわけでは無いのでしょうけど、、、
相手を癒す「気」は、こちらが創作していなければいけないわけですし、
「気」のプラスマイナスはあって、当然ですから。
私の所属するクリニックの場合、私の受け持ちで平均的に40-60人くらい一日に診療します。
時にはヘビーな話を連続して聞くこともあります。
「気」の存在を知らない精神科医はかなり疲弊することが予想されます。
(よっぽど商業主義でやっていれば別ですが、、、)
クライアントの「病気」と付き合っていれば、楽かもしれません。
ただ、精神科医という仕事は、どこか、その人の「人生」と付き合わなければならないのです。
若くて熱心な精神科医は、相手に共感しようと努力するでしょうし、かなり無意識に「気」を使っていると思います。
ましてや、「気」に敏感な人は、クライアントのフィールドの飲み込まれてしまうでしょう。
診療の場では、弱った「気」、病気による「邪気」、様々なものが飛び交います。
冒頭の「目を見て話さない精神科医」というのは、ここが根底にあるのでは?と思います。
すなわち、クライアントに飲み込まれてしまうのを本能的に避け、言語を介しての
治療に集中するというスタイルです。
それはそれで、別に、クライアントが良くなれば良いと思っていますし、
それがそのセラピストのスタイルならそれでも良いかとも考えます。
ただ、私の場合は、「気」を介しての治療を志していますので、いつもがっつり相手の目を見ます。
と書けば、まるで、合気道の勝負のようですが、、ある意味そういうところもありますが、
癒されるフィールド作りも必要ですし、ぶれない自分を作るという信念もあります。
大周点レベルがわかっていれば、私の「気」が減ることはそうそうありません。
といっても、慢心、油断は禁物、時々、正直体調を崩すこともあります。
まだまだ、修行不足ですな。
そういう意味ではクライアントから教えられることもたくさんあります。
人と人が向き合う治療、大切にしていきたいと自分を戒める今日このごろです。
投稿情報: 20:14 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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表題の如くの記事が各新聞で出回っている。
とりあえず、目に付いた読売新聞の記事を引用してみよう。
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抑うつなどの症状が続くうつ病の患者数(躁(そう)うつ病を含む)が、初めて100万人を超えたことが3日、厚生労働省が3年ごとに実施している患者調査でわかった。
長引く不況などが背景とみられる一方、新しい抗うつ薬の登場が患者増につながっていると指摘する声もある。
患者調査によると、うつ病が大半を占める「気分障害」の患者数は、1996年に43万3000人、99年は44万1000人とほぼ横ばいだったが、2002年調査から71万1000人と急増し、今回の08年調査では、104万1000人に達した。
10年足らずで2・4倍に急増していることについて、杏林大保健学部の田島治教授(精神科医)は、「うつ病の啓発が進み、軽症者の受診増も一因」と指摘する。
うつ病患者の増加は、新しいタイプの抗うつ薬が国内でも相次いで発売された時期と重なる。パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)は、「軽症のうつは自然に治るものも多い。しかし日本ではうつを早く発見し、薬を飲めば治るという流れが続いており、本来必要がない人までが、薬物治療を受けている面があるのではないか」と話す。
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相変わらず、馬鹿なマスコミ。
かつて、外科時代に私の患者さんであったとあるジャーナリストの嘆きを今でも思い出す。
「先生ね、私らの頃は、社会の為と思って、足使って、必死に動きまわって、情報を集めたものですよ。だけどね、今の若い奴ら、足も使わないし、裏も取らない。こんなジャーナリズムはおかしいです。」
その方はお亡くなりになられたのだが、この記事を読んでいたら、、ため息が聞こえるようだ。
この記事にはいくつかの疑問点がある。
1.うつ病という概念
まず、うつ病という概念をきっちり定義しているかどうか、すなわち、データ、母数が正しいのか?
現在、巷で言われているような新型(非定型?)うつ病や適応障害、抑鬱状態という診断名をカウントしているのか?それは、たんなる診断書なのか?DSMなのか?ICDなのか?
現場で治療を行っている我々にとっては、この、第1行の文章自体の意味がわからん。
そう鬱病(MDI)って知ってるのか?
2.長引く不況~時代の考証は?
不況、これは確かに一因としてあると私も実感している。しかし、考察が足りなさすぎる。
そもそも、バブルがはじけた辺りから、日本の社会は大幅に変化を遂げている。
それ以前からも、日本は村社会から、アメリカ型の個人主義社会に変貌を遂げてきた。
しかも、バブルの崩壊で日本はおかしくなっている。
特に私としては女性の価値観、役割に大きく変化が起こっていると考えているので、
一番大変なのは女性だと考えている。
村社会の時代は、女性は、子供を育てて、一人前にすれば、それで安泰する世の中であった。
すなわち、我が子を一人前にすれば、老後も子供達が支えてくれる社会である。
しかし、男女平等、雇用などの問題を経て、女性が社会進出するようになり、
女性の人生に対する価値観は急激な変化を強いられた。すなわち女性のアイデンティティーが
問われる事になったのだ。
多くの女性が、ここで転換期を迎え悩むようになる。
母親としての役割、社会人としての役割。両立するのは大変なことであるし、
経済的にも企業にとっての損益を理に、不平等を被る立場であった。
村社会は終わりました、では、女性の皆さん、生き方を考えてください、そういう暗黙の
風潮が流れる社会となった。
そこにバブルの崩壊である。
それまで、サラリーマンは終身雇用制度、良い大学を出て、良い企業に入社すれば、
後は、能力の差が多少あっても安泰という社会概念が崩れた。
外資系の会社が進出してきたのもある。能力が無いと判断されれば、解雇なのである。
追い打ちをかけるように、政治家や官僚の、利権にまみれた社会が目の前にさらされている。
子供達は、若者は、一体、何を夢見たら良いのか?
奴隷の様な、企業の言いなりになる人生からの脱却であるという利点もあるものの、
自分のやりたいことがわからないという若者が多いのも事実ではある。
私は全てを社会のせいにする考え方は好まない。それは、あまりにも多責的すぎると思うし、
個人の可能性を逆に封じてしまうからだ。
しかし、国のエリートとされる、政治家、官僚にしたって、利権の嵐だ。
やりたいことがわからない、そういう若者が増えて当然の社会だと思う。
一体、何を夢見れば良い?
そういう考察はないのか??
3.新型抗うつ薬とのありかた
をいをい、、、、、
ちょっと待てと言いたい。
軽症の鬱病に、新型抗うつ薬を使うとのこと。
現場、知らないなとまじで思います。
まず、診断が明確になっているのかと言うことをはっきりさせるべきだし、
SSRI等の事を言っているのだとしたら、、、
軽症のうつと中等症のうつの違いをどうやって見分けているのですか?あなたは?
本人の言質ですか?家族の言質ですか?
精神科医は、軽症の鬱でも、SSRIを使っているとお考えですか?
たぶん、この記事も、冨高先生の仰っていることをマスコミが、都合の良いところだけ取って、
記事にした可能性が大きいと思っています。
4.訴訟社会のありかた
これは、小児科、産婦人科でも同じ事が言えると思うのですが、、、
「軽症のうつは自然に治ることが多い。」
その言質はある意味正しく、人間の自然治癒力でもあります。
ただ、患者さんとのラポールを築けなかったり、「目を見て話さない精神科医」(これは後日、記事でその理由をアップしようと考えています。)が多いのも事実です。
そのばあい、どうしてもエビデンスありきの治療になるのもやむを得ないという現象が起こります。
つまり、軽症とエビデンスで判断されても、自殺されたら、なぜ抗うつ薬を投与しなかったのかという議論になってしまうのです。多くの精神科医が軽症の鬱に対して、守りに入っているかということも、ここでは吟味されていません。では、軽症の鬱とはどういう診断基準なのですか?
希死念慮の有無ですか?エビデンスがお好みなら、某国の統計では、「死にたい」と考える若者のパーセンテージくらいご存じでしょうね?それともいわゆる新型鬱病ですか?それは甘えですか?社会の責任ですか?性格ですか?
その辺が明確になってないのに、議論のまな板に載せる意味がわからない。
これは初診の時にいかにクライアントに対して、明確な治療方針、ラポールを築けるかということにもなるのですが、、
強いて言えば、「長引く不況」を引用しているところが正しいかも。
だって、この社会構造、ますます、人が夢を見れない社会になってますからね。
利権が暗黙になっている社会を司る人達、あなたたちは、自分の子供達の世界を描いていますか?
投稿情報: 21:57 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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今週は我がクリニックもレセプトで大忙し。
サービス残業で今し方帰ってきました。
事務で入って来た新人スタッフと協力して、PCと照らし合わせ作業。
さて、この新人スタッフに、精神医療総論を教育する役目を院長から仰せつかりました。
クリニックの事務というのは、特に精神科では、重要な役割を担います。
まず、フロントラインでクライアントと接するのは事務の方々ですからね。
ある程度、予備知識が無いと、患者さんも、事務の方々も疲弊することになりかねません。
なぜなら、クライアントが困った時に、クリニックに電話で問い合わせ、相談をしたり、
窓口対応をするのは事務の方々なのですから。
さてと、どうしようかなと。
従来型の精神医学、DSM型の精神医学、教科書的に考えたら、そういう総論になるのですが、
それでは、あまりにも工夫が無い気がします。紋切り型になっても困りますし、
この病気にはこの対応というマニュアルは存在しない世界。
そこで、中観思想の私は、クリニックの事務レベルでは、若干型破りかもしれませんが、
密教、顕教形式で総論を教えようと考えました。
とりあえず、まず、気のtuningから始めようと考えています。
今日も残業しながら、雑談形式で、彼女の未来、抽象度を上げるような
そういう会話をしながらレセプトとにらめっこしてました。
まず、気の世界、抽象度を拡大して、そこで知識を入れるというやり方です。
人にものを教えるというのは大変な作業でもありますが、逆に言えば、
自分の盲点を知る作業でもあります。
異なる脳、気の世界のtuningを合わせることが、その作業の入り口だと考えました。
人にものを教えるというのは、人からものを教わることでもあります。
今の彼女にドーパミンやセロトニンの経路を教えるより、
まずは、総論として、東洋医学的というか気の雰囲気を、
理解してもらい、そこから、顕教、すなわち総論に行けば良いのかなと思いました。
さて、顕教用の、テキストを自作するか、何か教科書を選ぶか、、
試行錯誤していますが、近いうちに実施する予定です。
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